文書オンライン特集18:妹の死は父と新宿警察署への抗議であった。

令和4年3月7日の妹の死は、父と新宿警察署への抗議であった。妹は好きにさせておけば良い(即ち、姉のことは主治医である伊沢の治療方針に従わせておくべきであり、他の大人がとやかく口を挟んだり、ましてや公権力を利用して逮捕・起訴させるなどという姑息な手段を取るべきではない)という意味であったのだ。

父も母も姉も幸福の科学の信者であり、姉のThe Aは渋谷精舎から新宿精舎へ何故かはっきりとした理由は不明ながら礼拝先を変更させられたり、和彫りの入れ墨を全身に入れたいと言い出していた時期のことであった。撮影者が不明のセルリアンタワーでの写真が見つかるなど、少し不審な行動がみられていた頃であった。

私は今まで奇妙な事件、例えばルーシー・ブラックマンさん殺人事件の公判で、ルーシー・ブラックマンさんの日記の原本の写しと日本語訳から彼女に精神疾患があるのではないかという代理人からの依頼を受けたり、ガルエージェンシーが追っていた事件の被害者の診察と治療を任せられたりしたことはあったものの、それと同じインパクトを持つほどの特殊性のある症例だと強く感じていたため、ブログにその時の状態を暗号化したうえでアップしていたのであった。